グリーンおじさん雑記帳

VRChatでの日々やVRまわりのことに関するメモなど。

ほしい物リストを私が使う時の考え

はじめに

ほしい物リスト、通称「干し芋」は、Amazonの機能であり、その名の通り、ほしいと思っている物をリスト化しておくことができます。これは自分の備忘録として使うこともできるし、他者に公開してリストにあるものやないものをプレゼントしてもらうこともできます。

VRChatを始めてから、ほしい物リストからプレゼントしたりされたりすることが多くなりました。そこでほしい物リストを私が使う時の考えを一度整理しておこうかと思いました。

昔の使い方

2010年代前半頃にも私はほしい物リストを活用していたのですが、その頃の姿勢は、お金のない学生さんに書籍や食料を支援し、その時にできるだけ私の好みに近いものを選択して送りつけることで、誰かに感謝されることによる満足を得て、それに加えて私と好みが近い友人の層を厚くしていく、というものでした。

一応自分自身もほしい物リストを公開していましたが、それは自分の趣味嗜好を公開するためのものであって、実際に何かを送ってほしいとは思っていませんでした。

VRChatを始めてからの使い方

VRChatを始めてからしばらくの間は、昔の使い方そのままでした。ただ、昔とは違って、自分のほしい物リストの公開はしていませんでした。あまりお金に困っていない中で、他人から何かを買ってもらっても心理的負担にしかならなさそうだというのがその理由でした。では、心理的負担にはならない安いものをほしい物リストに入れるか、というと、そういうものは近所で買った方が安いので、私とフレンドのトータルで損得を見た場合に損に思えてやりませんでした。

転機は2018年12月だったと思います。VRChatを始めてから9ヶ月ほどが経っていました。もうすぐクリスマスということでほしい物リストを公開するフレンドが多くなっていて、私もクリスマスというイベントだから大してほしい物なくても公開していいかという気持ちになってほしい物リストを公開しました。そこから何度かプレゼントしたりされたりを繰り返しているうちに、贈り贈られること自体が大事なコミュニケーションということに気づいて(ちなみに『贈与論』はむかしむかしに買ってずっと積読です)、お金や物に困っていなくてもほしい物リストを公開し続ける意義を見出しました。お歳暮とかお中元みたいな感覚で今は贈り合っていると思っています。

インターネット人間関係を文字中心にやっていた頃には親世代がやっているような人間関係って本当に面倒くさいと思って、よほどの社会的制裁がなければ、冠婚葬祭には出ないし、地域のイベントには参加しないし、年賀状がきても返さない、等などだったんですけど、VRで「実際に会っている」感が強いインターネット人間関係をしばらくやっているうちにそれらの面倒くさいことをやってもいいかという気持ちになってきているように思います。偏屈なおじさんがVRChatで人生をやり直している感の話はそのうち稿を改めてしたいですね。

 

贈与論 (ちくま学芸文庫)

贈与論 (ちくま学芸文庫)

 

 

個人的なほしい物リスト活用におけるルール

  • 何かを贈られたら、それと同等の金額の返礼をする。
  • 自分のリストには安価かつ近所で買うのが面倒なものを入れておく。
    贈り贈られ自体が大事なので安価なものでいいけど、近くの西友ですぐ買えてしかもさらに安いみたいなものを贈られても「なんだかなあ」が拭えないので。
  • 自分が何かを贈る時には同等の価値の返礼を期待しない。ただし、漠然と「こういう効果を期待して贈るのだ」ということは自分の心の中だけでは思っておく。見返りを何も期待しないという思い込みを貫けるほど自分は強くないので。