VRChatのオフ会をするということ
はじめに
2019年末から2020年初にかけて、VRChat(以下、VRC)での私のフレンドたちが多くオフ会をしているのをTwitterで見かけました。私も2019年末にオフ会に参加しています。そんな中、VRCのオフ会に関して、VRC開始当初から現在に至るまで私の中で大きく考えが変わってきたと感じているので一度それを整理しておきたいと思います。
VRCを始めた頃の考え
仮想空間でなりたい姿になって「かわいい、かわいい」と言い合っているのに、なんでその夢を壊すようなことをするのか、わけがわかりませんでした。つまり、VRCを始めた頃(2018年3月からしばらくの間)、私はVRCのオフ会をすることについて否定的でした。また、VRCで出会う人たちは思ったよりも若い人ばかりだったことがさらに私をオフ会から遠ざけました。若い男の子たちとは比べ物にならないくらい私というおじさんの基底現実における姿はVRCにおける姿からはかけ離れているのですから。
ちなみに、インターネット経由で知り合った人とオフ会をすること自体は、前世紀末から経験があり、あまり抵抗はありませんでした。ただ、思い返してみると、Twitterのオフ会については最初のうちは美少女アイコンで年齢・性別不明という振る舞いをしていた(今は完全に美少女アイコンを掲げてるだけのおっさんです)のでVRCを始めた頃と似たようなオフ会への忌避感はあったように思います。
今はどう考えているか
今(2020年1月)はTwitterのオフ会以上にVRCのオフ会は気楽になったように思います。その背景には、だんだんとVRの世界と基底現実の世界の差について「全然別ものの世界」(VRの世界は夢の世界)と感じていたところから「同じ世界を別の視点を通じてみている」と感じるようになってきたという感覚の変化があるのではないかと考えています。
前の記事と同じく『バーチャルリアリティ学』から引用しますが、
バーチャルは、「表層的にはそうではないが、本質的はそうである」という意味である。たとえば、『米国継承英語辞典(The American Heritage Dictionary)』の第3版では、バーチャルとは、「Existing in essence or effect though not in actual fact or form」と定義されている。つまり、「みかけや形はそのものではないが、本質あるいは効果としてはそのものであること」である。
というような理屈はわかることができても、VRCがまさにバーチャルなリアリティだったということはVRCで長い時間をVRモードで過ごすことによって体得できたことだと思います。
前述の感覚の変化の後には、誰かと会う時、美少女アバターを使っていようが、おじさんアバター(その一種として私の生身の身体がある)を使っていようが、生身の身体がスーツを着ているかジャージを着ているかに似たようなもの、と感じるようになりました。また、生身の肉体はよくできたブレインマシンインターフェイス(Brain-machine Interface)であり、オフ会会場はよくできたワールドのようなものだと感じるようになりました。「考える」ではなく敢えて「感じる」と書いたのは、SFや哲学の思考実験として可能性を考えることは時々してきたことですが、それに実感が伴うようになったのは私の場合はVRC体験以後だからです。
オフ会をする意味
私にとってVRCのオフ会とは普段とは異なるアバターを着て普段とは異なるワールドでいつものフレンドと会うことに過ぎないという捉え方になりつつあります。オフ会への抵抗が薄れてきたことはわかったが、VRCで会っても基底現実で会っても変わらないのなら、わざわざオフ会をする意味はないのではと思われる方もいるかもしれません。私は遠い未来には技術の進歩によりその通りになることを期待していますが、今のところは、VRCにはバーチャル度(本質あるいは効果としてはそのものであることの度合い)において不満足な点もあるため、オフ会でその点を補完していくことには当面の間意味があると考えています。ネットワーク遅延のない場所で、味や香りを共有しながら、一緒にお酒を飲む、ということができることが、今のところ私がVRCのオフ会に参加する理由です。